お気持ちスタック

Segmentation Fault

新入生に告ぐ

ごあいさつ

先輩面をするのは実に楽しい。何せ同じ筑波大生なのに、相手よりも僕のほうが筑波大のことを知っているのである。そりゃあ楽しい。

ということで、主に筑波大学 情報学群情報化が狂い*1に入学される新入生の皆様に、僭越ながら大学の紹介やアドバイスをさせていただきます。

とはいえ、大学生活について大抵のことは新歓委員が説明しますので、新歓であんまり説明されないどうでもいいことを中心に書きたいと思います。

学類について

学類内部では「情報科学類」の英訳、"College Of INformation Science" を略して coins と呼称するのが一般的です。他学類からは「情科」などと呼ばれることが多いので、適宜使い分けましょう。

通じない相手に「情科じゃない!!coinsだ!!!」と言い張ったが最後、キモがられるのがオチです。 coins の学生は大抵オタクなので、一般的な人からはオタクみたいな扱いを受けます。わきまえましょう。

昨今の社会全体における情報系の勃興に際してのことか、coins には福利厚生のための多額の予算が組まれ、充実した学生生活が送れたり送れなかったりします。 以下はその例です。

学類専用Wi-Fi

大学では、たいていの場所に全学(全学類)向けのWi-Fiアクセスポイントが存在します。

これに加えて、coins の生徒は3か所の学類計算機室(PC室)と学類ラウンジ(後述します)で専用のアクセスポイントが利用できます。

若干速度も速い気がします。お得感がありますね。

計算機室

大学では、たいていのエリアに全学(全学類)向けの計算機室(サテライト室)が存在します。

これに加えて、coins の生徒は3か所の計算機室を利用できます。

計算機室はそこそこの性能(第3世代 i7 程度の水準)を備えたパソコンがそこそこな数(160ちょい)置いてあり、パソコン購入までの間はこれでしのぐことも可能です。OS XUbuntuWindowsが使えます。

24時間開いており、学生証をかざして開錠する部屋なので、冬場のつくばで凍死*2を免れるにはうってつけの場所です。

また、これらのPCはすべて常時SSHサーバーとして稼動しており、いつでもどこでもリモートアクセスしてイタズラすることが可能です。

学類ラウンジ

coins 向けに24時間開放されている部屋です。居心地はそこそこよいので、他学類も来ますが、学類問わず使ってよい部屋なので文句は言えません。どことなく威圧的な空気感で追い返しましょう。

パソコンを使う人向けの場所なので、大量の電源タップや共用ディスプレイ、プロジェクターなどがあり、仲間との話し合いやスマブラ大会には最適な場所です。

大学のエアコンは自由に使えないことで有名ですが、この部屋に限っては1年中24時間エアコンが利用できます。血税を吸い尽くしましょう。

これらのほかにも、プリンタがいっぱい使えたり、学類用のVPNが用意されていたりと楽しい設備があったりなかったりします。

サービス

大抵の大学では有償ソフトの無料配布などがありますが、筑波大もその例外ではありません。 以下のような特典が受けられます。

AWS Educate

coins の学生のみですが、100ドル分の利用権を含めたいろんな特典があります。マインクラフトのゲームサーバーを立ててお友達と遊びましょう。

以下のものは学類問わず利用できます。

Azure for Education

MicrosoftのOSが無料でいくらでも手に入ります。PCを組んだ時にWindowsを入れたいと思ったらこれを使いましょう。Pro版も無料です。

Microsoft Office

Office製品とOffice365のクラウドが使えます。クラウドは後述のものを使えばよいのでぶっちゃけた話不要です。

生涯メールアドレス

一生使える筑波大生と職員、OB・OGのためのメールアドレスです。ドメインは alumni.tsukuba.ac.jp で、作成時からGoogleのアカウントとして登録されています。 これを使ってGoogleドライブにログインすると、容量無制限で一生涯利用できます。すごいですね。エッチなデータを保存するとGoogleに怒られるのでやめましょう。

生活について

大学生活においては、初手で良き友人を作っておくのが極めて肝要です。複数人でつるんで行動すれば広いキャンパスでも心細さが幾分マシになりますし、履修等で大きなミスをすることもなくなります。

Twitterなどを活用し、入学前にできるだけ多くの友人を作っておくことをお勧めします。できればコンピュータに詳しい人もいると心強いと思います。

新入生同士の交流において、イキりは禁物です。ここにはあなたよりもプログラミングができる人、PCに詳しい人、勉強ができる人はいくらでもいます。謙虚な態度でふるまうのが重要です。

さいごに

長々と書きましたが、新入生の誰かがこれを読んで、参考にしてくれれば幸いです。

皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。よろしくお願いします。

*1:情報科学類。たいていのIMEではこの誤変換が最初に表示されます。

*2:過去に学内で酔っ払って凍死した学生が存在します。

胸が痛い(物理) Season 2

気胸をやりました

前回の記事の続きです。とりあえず身の回りで何が起こったのかを淡々と記録しました。あんまり面白くはないです。

前回までのあらすじ

筆者の身に再発した気胸。突然の入院に戸惑いながらも、痛みに耐え忍ぶ生活が始まる……

1週間目

はっきり言って、初日は精神的に相当まいっていた。突然胸に管をねじ込まれ(激痛)、いつ退院できるかもはっきりしない入院を宣告されたら当然である。 不安と苦しみに満ちた夜を過ごした。

翌日、痛みは続くものの、気持ちの方は落ち着いてきていた。今度は救急ではなく、外科の先生に診てもらい、「胸の中の空気を抜きつつ自然治癒を待つ」という方針を説明された。 退院までは大体1週間を見込んでいるらしい。

僕は「これ以上痛いってのはないわけだ」と思い、深く安堵した。

3日目、空気の吸引を一旦止めて、様子を見ることになった。次の日に肺が縮んでいなければ、翌日にはこの管が抜けるらしい。管の先についている箱は吸引を止めれば持ち運べるので、トイレにも自由に行けるようになった。当時は「入院生活もあと半分くらいか?」なんて思っていた。

4日目、肺が委縮していた。心に暗雲が立ち込める。先生はもう2日吸引して、それでもう一度様子を見ようと提案してきた。

気胸の治療法は3つある。1つは、何もせずに治癒を待つ方法。1つは、胸に管を入れて空気を抜く方法。もう1つは、穴が開いた肺を部分的に切除し、縫い付ける手術だ。

正直これ以上痛いのはイヤだったので(弱虫)、僕もそれに賛成した。

6日目、吸引を止め、一日過ごす。翌日のレントゲンで肺の委縮が見られたら手術らしい。夜は眠れなかった。

7日目、レントゲンを撮った後の先生の顔を見て悟った。手術である。どうやら明後日にやるらしく、退院も伸びるらしい。 かくして、僕の気胸との闘いは Season 2 に突入する。

2週間目

手術が決まったのは相当ショックだった。なんで怖いのかはよくわかんないけど、手術がとてつもなく怖かった。毎晩泣いた(泣き虫)。 いろんな気晴らしを試したけど、不安は消えなかった。

僕の受けたものは胸腔鏡手術というそうだ。

まず、全身麻酔と筋弛緩を済ませた後に、ふたつある肺の分かれ目のところ(気管支)まで口から管を入れる。これで酸素を供給し、手術をしない片方の肺だけで呼吸する。

次に、わきの下にメスで三か所穴をあける。そこにカメラのついた棒、カッターのついた棒、縫い付ける機械のついた棒を入れ、穴の開いた部分を切除して縫い合わせるらしい。

運が悪いと胸を切り開くタイプの手術に移行したり、麻酔との相性が悪いと10万分の1ぐらいの確率で死んだりする。

手術前夜、最後の食事となるしぐれ煮と、差し入れのプリンを食べた。

眠れなかったので、 Spotify でお気に入りの音楽を聴いて横になっていた。

手術は昼すぎからはじまった。僕は病室のベッドごと運ばれ、両親に見送られて手術室の中に入った。

手術室の中はテレビドラマでおなじみの感じだった。なんか明るいポップ音楽が流れてた。

服を脱がされ、帽子を付けられ、心電図が取り付けられた。心拍数は素人目にもわかるくらい高かった。

酸素マスクをつけた後、麻酔が注射され、エレベーターの中で気が付いた。

もうろうとする意識の中、ベッドを運んでる人に「おわったんですか」「胸腔鏡で済んだんですか」「尿道カテーテルは入れなかったんですか」とかいろいろ質問した。

術後は局所麻酔を打ってから病室に運ぶらしく,痛みはなかった。

病室に着くと、次第に激痛があらわれる。点滴で強めの痛み止めを入れてもらうと、今度は副作用で眠くなってきた。

何度か起きて、また眠くなって、夜9時ごろに空腹と痛みではっきりと目を覚ます。両親はとうに帰ったらしい。

いつもの痛み止めをもらって痛みは何とかなったけど、目がさえて眠れなかった。Twitter見たり、ベッドから立って歩いたりしてみた(アホ)。

立ち上がると猛烈に痛いけど、これほどすぐに歩けるのはうれしかった。

Twitterしてるうちに疲れてきたみたいで、無事眠って今日にいたる。

食事の許可が出たので、2日ぶりに食べ物を口にする。うまい。なんだか猛烈にモスバーガーが食べたかったので、父に買ってきてもらってがつがつと頬張った。

2週間ぶりにジャンキーなものを食べたら結構幸せになってきた。

このさき

問題なければ水曜か木曜に退院するらしい。

知見

自分が案外痛みに弱いことに気が付いた。あと本質的には泣き虫である。幼少期から何も変わってない。

それと、病院ではお医者さんや看護師さんへの恥じらいは捨てたほうがいい。排泄を報告しろと言われたら素直に答えたほうがいいし、パンツを脱げと言われたら脱いだほうがいい。 至極当然なことだが、最初の方は抵抗がある。

医療に携わる人はそんなもの死ぬほど見てるので誰も気にしない。恥じらって損するのは自分であると肝に銘じたほうが良い。

お見舞い

結構な人がお見舞いに来てくれてうれしかった。プリンが大好きなので、プリンが食べたいと言ったら、手術前日までで20個のプリンが集まった。全部食べた。

病院の生活は退屈なので、目の前に話し相手がいるだけでもかなり気が楽になる。ありがとうございました!!

まだ少し入院してるので、話し相手になってもらえるととても喜びます。よろしくお願いします。

胸が痛い(物理)

本記事の内容はしんどいです、ご了承のほど。 今日の日記です。

気胸をやりました

やってしまった。いま病室のベッドで身動きが取れない状態にある。平穏な大学生活が一転、どうしてこうなったのだ。

夕方までの流れ

1月22日

9時起床、性欲が溜まっていたので用を足し、飯を食べる。勉強をする。スーツに着替えて千葉県の実家を出る。11時。

つくば駅着。右胸にかすかな痛みを覚える。12時。

自転車で登校する道中、痛みが悪化。まともに動けなくなる。講義の内容もほとんど聞こえていない。

13時半、さらに悪化。バイトをキャンセルし、大学併設の病院へ行く。

病院にて気胸との診断。検査データと紹介状を貰い、地元の大きな病院へ向かう。16時。

夕方

17時。外来の受付は終了しており、ぱっと見て急病人には見えない私は入り口で追い返されかける。 紹介状があること、レントゲンを撮ったこと、どうやら急を要するらしいことを伝えると、しばらく経って救急に通された。

先生が言うには、内臓を圧迫している重度の気胸だそうで、すぐに手術しないと命に関わるとのことで、診察もなく、ものの数分でオペが始まった。

ちょっと待ってくれ、ぼくは昨日まで普通に暮らしてた大学生だぞ? 安静で治るちょっとした気胸はあったものの、一度も大きな疾病を起こした試しはないし、持病もない、いたって健康な青年だ。

といった私の表情をよそに、テキパキと点滴を打たれ、局所麻酔をされ、先生はぼくの胸を小さく切って肋骨の間から長い管を通すとか言い始めた。

体にメスが入る感触ははっきりとわかった。苦痛はない。けど痛かった。

管(カテーテルっていうらしい)の挿入は体の奥にまで及ぶ。右胸前面の肋骨から入ったカテーテルは、一旦背中側を通り、肺をぐるりと一周してまた前面にやってくる。

当然ながら、そんなところまで麻酔は効かない。カテーテルが1mm進むごとに身体中を苦しみが襲う。叫び声が勝手に出る。脚が動く。顔は涙でずぶ濡れになる。

物心ついてから手術の経験がない私にとっては、突然訪れた「皮膚を切る、体に穴を開ける」という行為は死ぬほど怖かった。

そんな心境が術中の痛みに拍車をかける。とにかく痛い。

体内(消化器や性器は体外である)に大きな異物が入ってくる感覚というのはどうも人間にはプログラムされていないようで(あるいは、痛すぎただけなのかもしれないけど)、よくわからんけど痛い、苦しい、という感覚で頭がいっぱいになった。

手術を終え、病室に入る。19時半。

術後とはいえ、私の胸には丁度指が入るほどの穴が開いていて、そこから異物が通っている。当然寸分も動くことができない。痛い。

加えて挿入時の拒絶反応で38.6度の高熱、143/80の高血圧で生き地獄のような体のしんどさである。

食欲なんかない。睡眠欲もない。

トイレにも行けない。排泄は「し瓶」で行う。

入院と聞いて、病院へ向かう途中「性欲処理はどうするんだ」「勉強道具を取りに帰らなきゃ」「パソコンは持ち込めるのか」などと心配をしていた自分がアホらしくて仕方ない。 入院が、手術が、気胸がこんなに辛いものだとは知らなかった。おのれの体質と不摂生を呪いたい。

一人でおいおいと泣いてます。

以上 病室より

浪人した

この記事は coins Advent Calendar 2019 17 日目の記事です。
昨日の記事はこちらからどうぞ。

浪人した

浪人した

2018 年 2 月、僕は筑波大学 3A 棟の試験室で絶望のどん底にいました。

過去問演習をそこそこやって傾向はつかんだぜ!!という慢心は本質的な学力と思考力の欠如により完膚なきまでに打ち砕かれ、自分がちょっとした難易度の変化にもついていけないカスであったことを初めてそこで自覚したのです。遅いですね(笑)

結局、併願私立であった明治大学東京理科大学にも滑りに滑り、藁にもすがる思いで電気通信大学の後期試験を受けることになります。

最後の合格発表日、僕は人生初の合格を期待し、地元から一時間半かけて電気通信大学まで足を運びました。

あの日、調布は確か雪が降っていたと思います。

意外にも、両親は己の不勉強で失敗した僕のことを温かく激励してくれました。

帰宅して電通大に落ちたことを報告すると、父は「寿司でも食べにいこか」と言って銚子丸1に連れて行ってくれました。家族旅行もしておいしいものを沢山食べました。

つらかった

浪人期のうち、一番つらかったのは最初の 1 か月だったと思います。

大学にすべて落ちた直後、僕は当時お付き合いしていた彼女にフラれました。東京出版『大学への数学』という雑誌にこのネタを投稿したところ、掲載されました

こんなところで運使わなくていいから大学に入れてくれ。

「なんか人生なんもうまくいかねえな」と思った僕は、大学に受かったらパソコンを買おうとひそかに貯金していた 10 万円を机から取り出し、秋葉原で新品の一眼レフ2と青春 18 きっぷ 3 日分を購入しました。これから一年間受験勉強するというのに一眼レフを購入したのは、今考えてもどうかしていたと思います。親不孝ですね。

行先は、ふとした思い付きから広島に決めました。理由は特にありません。

余談ですが、道中、めっちゃいい人だった高校時代の生物の先生オススメの『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス 著) を読みふけっていたのですが、これは今の僕の思想の根本的なところに影響を与えている名著だと思います。暇な人はぜひ読んでください。

ヤケクソな旅行なだけあって、ツイートも雑です。

傷心旅行から帰宅し、現実に引き戻されると、浪人生にとって最もつらいイベントがいきなり始まります。

高校同期の入学式です。

僕は当時 Twitter で、バラ色のキャンパスライフに飛び込まんとするかつての同期たちを見て、激烈な後悔と嫉妬の念に襲われていました。浪人生は Twitter なんか見ない方がいい。

特に都内の大学に行った友人のツイートからは、やれ武道館で入学式だの、やれ新歓で屋形船に乗っただの、飲み会3だのなんだの、実にウラヤマシイ【いかにもな大学生活】がにじみ出ていて、お金も名誉も学力もない、将来も不透明な僕からすると胃袋がひっくり返るような思いでした。完全に自業自得ですが。

そんなこんなのストレスも相まってのことか、この数週間後には肺に穴が開いてしまいました。世間では肺気胸とか言って、やせ型の若い男性が発症しやすい、原因不明の病気だそうです。結構痛かったです。

↑ 最高にみじめな自分。何がみじめかって、いいねが 3 しかない。

とりあえず進路を考える

ひとまず、浪人してしまった事実は取り消せないので、これから勉強していく上での指針みたいなものも立てなきゃいけません。そこで、自分の進路から真剣に考えていくことにしました。

僕は小学生のころからコンピュータが好きでした。しかしこれは趣味の域を出るものではありません。

AC な人々4みたいに何か社会に出るうえで実用的な技術があったわけでもないし、家族共用の大した性能もない VAIO(SONY 製パソコン)を使い、Aviutl でクソみたいな動画をいっぱい作って遊んだり、Visual Studio を使って C++で遊んだり、JavaTwitter のくだらない bot を作ったりしてました。

これらはあくまでも「遊び」であって、将来大学に行ってこれを勉強しようとかいった気はなく、高校 2 年生くらいまでは「たぶんフツーに大学行って適当に勉強して、その流れで興味もない会社に就職するのだろうなぁ」とか思っていたのです。

これは両親の教育方針の影響でもあります。両親は教育熱心ではあれど、一般的な「お勉強」を阻害するような物は厳しく制限する方針をとっていました。パソコンに関してもこれは同様で、僕がニコニコ動画を観ていようと、プログラミングを勉強していようと、等しく「ゲーム/パソコンは一日 30 分」という決まり文句で中断させられていました。

つまるところ、当時の僕にとって、こういったコンピュータに関わることを将来につなげるだとか、仕事に使ってお金を稼ぐだとか、そういった発想が微塵もありませんでした。

両親の反対を押し切り、自分のパソコンを購入した高校 2 年生あたりから、僕のちょっとしたスキルは文化祭などのイベントでいろんな人に重宝されるようになります。これらの人の役に立てた経験から「パソコンで仕事するのもアリだな」と思い始めたのがきっかけで、情報系の学科を志すようになりました。

進路に関しては、両親も良い意味で放任主義であったため、志望校の決定はほぼ完全に僕にゆだね、必要な出資や支援は十分にしてもらえる、といった理想的な環境でした。本当に感謝しています。

上述の経緯により、僕の志望としては「行きたい大学に行くこと」よりも「情報系の学科に入学すること」の方が重要であり、「とりあえず目標は高く」ということで現役時の第一志望より数段レベルの高い東京工業大学情報理工学院を目指すことにしました。

ちなみに当時、東工大は行ったこともなかったし、どこにあるのかすらも知りませんでした。

今でもよく知りません。

勉強したりしなかったりした

予備校は駿台に決めました。数多ある柏駅周辺の予備校の中で、一番自宅から近かったからです。

さて、ここから灰色の予備校生活がスタートします。

駿台ダイマ5にはなりますが、予備校で受ける授業は受験においてはなかなか実用的で、そのうえ興味深く、その予習復習をするうちに自ずと学習する習慣は身についていました。

しかし、一年後の試験を見据えてコンスタントに勉強するということがいかに辛いかというのは想像に難くないでしょう。

僕は時折自習室を飛び出しては、駅前の風景を一眼で撮影したり、商店街に住み着いたネコを眺めたり、本屋で時間をつぶしたり、高校時代行きつけのラーメン屋に行ったり、ひとりカラオケで高得点を目指したり、Twitter したり、ドンキでエッチなオモチャを購入したりと、迷走をする日々が続きました。

↑ 浪人期に撮ったネコ

↑学籍持ってないくせに何様だよお前

なにも、やる気がないからこんなことをするわけではありません。人間は一定時間を越えて勉強を続けると著しくパフォーマンスが低下するものなので、適度に息抜き6をする必要があります。けれども、こういう無為な時間を過ごしていると、猛烈な罪悪感に襲われます。

一般的に、「予備校に通いつつ大学を目指す」という浪人生には、予備校代、受験料、一時入学金など、一年間でおよそ 100 万円余りものお金がかかります。僕の場合、現役のころの投資はドブに捨ててしまったわけですから、受験にはそこそこよい新車が一台買えるくらいのお金がかかっているわけです。

この事実は、当然ながら多くの受験生のメンタルを強く圧迫します。もちろん、道理的に考えれば努力して当然の環境であり、それ以外のことに身を堕とすのは極めて親不孝なことである、というのが一般的な見解であるということは重々理解しております。しかしながら、現実には理想のように、休む暇もなく勉強するだけの生活を一年間続けられるという人は数少ないのです。

ここからの日々はとてつもない速さで過ぎ去っていきます。母校の(元)後輩たちが行事にうつつを抜かし、合唱祭だの文化祭だのといった楽しそうなツイートを横目に(文化祭は観に行った)必死こいて勉強を続けました。

この時期に受けた東工大実践模試では、無残なまでの E 判定を叩き出し、流石に両親から「諦めろ」とも言われたため、筑波大に志望変更をしました。

まあもともと大学はどこでもよかったので気を落とすことなく勉強を続行したと思います。

おのれの心を空っぽにして、予備校に行って、ひたすら『大学への数学』を解き、授業に出て、模試に一喜一憂して、あんなことやこんなことをしていたら、アッという間に人生二回目の受験期です。

受験

センター試験はお世辞にも良いとは言い難い結果でした。理科大のセンター利用にも落ちました。

しかし、二次試験の方は一応まじめに勉強をしていたため、理科大の学部二つに合格することができました。

早稲田と慶応には木っ端みじんにやられました。


さて、二度目の筑波大学前期入試です。


数学は大幅に易化、物理は難化、他は例年通りといったところでしょうか。自信のほどは当時の Twitter にもにじみ出ています。


僕が自宅であまりに自信満々にしている姿を見て、両親が「何なら総出で見に行くか」と言い出し、両親と僕の三人で合格発表を見に行くことになってしまいました。

発表前夜は緊張のあまりお腹を壊しました。

合格発表は皆さまご存知本部棟駐車場で行われます。

時間になると職員がやってきて、掲示板を貼り、カバーをはがして......





あった......!あった!!!!!!!!!!うかった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





うかっあたたたたrてあrたえwtrふぇrgだffdsふぁsdfdさぎfじゃへrふぃおえwjkうぇこmhグrフィ lkfdsjmfkvmk gdf コア lgjf レイコア fgj ヂ sfjd シコ;fj ウェ kl ン g ジ b ヴェ f ジオ p:3\t2 ウィョ p





顔面クシャクシャにしてボロ泣きで両親に駆け寄って、ラグビー部に胴上げされて、新聞部の取材に言葉を出すことができませんでした。

胴上げされるオタク。ここまで生きてきた中で一番うれしい出来事です。

大学

大学に入ってからは、自分の生きる世界が突然色彩豊かになったような日々でした。

毎日が何かしらの発見に満ちていて、これほど楽しい場所なんかこれまでになかったと心の底から思える場所です。

もちろん、大学の授業だけが楽しいという話では決してなく、面白くない講義だって沢山あります。

何よりも面白いのは、周囲の人間です。

大学にはこれまで自分が触れることのなかった分野に精通した人や、自分の知っていることを遥かに凌ぐ量の知識を持っている人が沢山いて、そういった人たちと毎日話していると、自分がいかに無知であったか、小さな存在であったかを痛感すると共に、これから学んでいこうという意欲が高まります。

また、学類には自分と似たような人も結構いて、互いに学び合っていける良い環境が整っていると日々感じています。

二年間、並みの努力だったかもしれませんが、つらい受験に耐えてきた甲斐があったなぁとつくづく感じます。

今夜も酒がうまい。




  1. 千葉県の回転寿司チェーン。回転寿司のわりに結構するけど、結構おいしい。

  2. Nikon_D-5300

  3. 未成年者の飲酒は法律により禁止されています。

  4. 筑波大学におけるアドミッション・センター入試の合格者。何かと「A(頭がおか)C」な人が多い、変態の集まり。

  5. ダイレクト・マーケティング

  6. イキ抜き